2018/02/24
先日、偶然にアマチュアカメラマンの方と一緒の現場に入りました。
(普通、一つの現場にカメラマンは一人だと思います。が、この業界の場合、複数入るということが良く起こります。その話は、また別で書きます)
同じような機材を使い、行動もほぼ同様。出来上がりにしても、正直な話、一見しただけでは、その違いはわからないくらいである。それなのに、一方はそれで生計を立てていて、他方はそうではない。その差はどこにあるのだろうと、ふっと不思議な思いに駆られます。と同時に、プロという身分(??)に、胡座をかいていてはいけないという危機感のようなものを感じて、一気に暗澹たる思いにうちのめされてしまったのでした。
十何年しゃしんで生計を立ててきて素直に思うこと。圧倒的に、仕事の数よりも、撮りたい人(含プロカメ)のが多い。頼む方からすると、喜んで撮ってくれておカネも払う必要がなく、内容もそこそこ悪くないならば、誰が撮っても同じことなのかもしれない。ましてや、必ずしもプロである必要はない。しゃしんに限らず、音楽でも文章でもスポーツだって、何だってそうだ。一昔前とは比較にならないほど、「プロ」と「アマ」の境界線が曖昧になっている。その一番の理由は、「ライフスタイルの変化」ではなかろうか。社会の変化と言ってもいいかもしれない。
では、現代における「プロ」と「アマ」の決定的な違いとは一体何だろうかと考えてみる。すると、しゃしんの場合、これといってほぼ何もないことに、しばし愕然としてしまう。あるいは、自分にそれが欠けているだけなのかもしれないが・・・☠