2018/02/24
音楽ライターのOyamada AtsushiさんのFBの投稿に、興味深いものがありました。
録音物は市場に出ると同時に、演奏者本人から乖離するのでしょうね。分身化するというか。(転載)
こちらでは、録音について言っていますが、生の舞台も同じこと。一度発してしまったが最後、元に戻せないのが音楽です。ほんの数秒前までは自分であったものが、声となって出て行って、その後は独自の価値を生み出す。
しゃしんも同じだと思うのです。
私は、オペラの舞台を撮ることが多いですが、舞台がしゃしんになると、そこに流れていた時間が、新しくなって甦る。その輝きは、決して色褪せることがないのです。それどころか、しゃしんを見る度ごとに、益々鮮明に心に響く。
例えば10年後。
そんなしゃしんを、私は撮り続けているだろうか。誰に頼まれるでもなく、エゴイズムでなく。ただひたすらに、輝きを封じ込めるため。そして、その美しさを発信するため。
私が間違っていたら、誰か叱って下さい。でも多分、怒られても辞めないと思う。ただごめんなさいって言います。