2018/02/24
もう何回か、こちらのブログにも書いていますが、オペラ演出を学ぶアカデミーに、聴講生として参加しています。今日は、10日間のうちの5日目でした。今のところ、順調に進んでいる模様、2幕の最後まで演技がつきました。あとは3幕目を残すのみです。
今までの講義の中で、心に残った発言の数々の中から、少し書きたいと思います。演出の内容の説明のような部分、ご本人の思想など色々ですが、素人ですのでご容赦頂ければと思います。尚、オペラ演出についてご専門の、森岡実穂氏によるまとめサイトはこちらです。
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【一日目より】
《椿姫》は、センチメンタルでお涙頂戴のラブストーリーではない。実は、とてもハードな物語である。それは、一人の人間の物語である。
ヴィオレッタは、自分の命が短いことを知っている。そして、「愛」が死を先延ばししてくれるのではないかと期待している。しかしそれは、上手くは行かない。
この物語は、2次的にしか、ラブストーリーではない。ところが、一般には、単なるラブストーリーとしかみなしていない「馬鹿げた」演出だらけである。
このオペラの登場人物の中に、本当の意味での「人間」は何人いるか?実は、ヴィオレッタだけが―娼婦であるヴィオレッタだけが、唯一の人間なのである。物語の中では、金を持っていない人間ほど(例えば、ジュゼッペ)、人間らしくないとされている。
では、アルフレードはどうか。彼は、人間として、大変幼い。そして、ヴィオレッタを所有するということが何を意味するのか、全く理解していない。
2人は3ヶ月もの間、一緒に暮らしていたのに、ヴィオレッタはアルフレードの妹の存在を知らないし、アルフレードは、ヴィオレッタが金策に奔走していることを知らない。これは、何故なのか。
2人の持つ愛の「種類」は、全く別物なのである。(続く)